ピーター流外国語習得術 [ホールド]
数学者であり大道芸人でもあるピーター・フランクルという優秀な人間が書いた本である。
結論から言うと語学学習に関してはしっかりしたことが書いてあり読む必要は特に無い。
この本は岩波ジュニア新書の一つである。名前の通り若い人に向けられて作られたシリーズであり、発足に際してというのを見ると一九七九年六月となっている。この本だけは10代以外の購買者が多いのかも知れない。そんな1999年に出版された語学本である。
岩波書店、若者向け、ピーター・フランクルという個性的な人間、これらが合わさった書物なので読みにくいと感じる箇所はあるだろし矛盾点も見つかる。国際人とか愛国主義だとか洗脳だとかいうキーワードが出て来るがこれを10代の人間に読ませて良いのかと逆に心配になる。ある程度分かって来ると本書の矛盾点も指摘できるようになりこの本自体洗脳ではないかと訝しく思うのである。また旧東欧諸国がEUに接近するようになった辺りの東欧人の感覚や情報のアップデートは無い。実際に話すと分かるのだが彼らと筆者の感覚は違う。筆者自身洗脳されているかもしれないと思えるようになる。そういった読みにくいところがゴツゴツとある本だ。
さて、この本の中で特に良かったことを見つけるとすると、対訳本の使用が挙げられる。
対訳によって意味を取っていくという方法だ。有名な物語ならば様々な言語で使えるということになる。ただし、その場合、学習しようとする言語の文章は簡略化されたものである可能性もあるので注意は必要だ。
著者は10ヶ国語以上を使えるようだが、大学で数学の講義ができる程度の言語は11ヶ国語で、話せる言語は12ヶ国語であると書いている。大学で数学の講義ができる程度、と筆者が表現しているがこの表現方法が語学学習者にとっては実は曲者だ。もちろん彼の語学のことを言っているのではない。このことは別の機会で触れると思うがどうも錯覚させられるものだ。
本書のはじめにで書いてある順に並べると、ハンガリー語、英語、ドイツ語、スウェーデン語、フランス語、スペイン語、ロシア語、ポーランド語、日本語、韓国・朝鮮語、中国語の計11ヶ国語がそれである。
これらにインドネシア語が話せる言葉として加わるので十二か国語になる。
実際は少しでもかじった言葉や片言のもの類推がきくのもあるだろう。
ハンガリー人の語学学習本といえば、『わたしの外国語学習法』がある。
同じように、強国に挟まれた国としてドイツ語、ロシア語を学ぶ運命にあった。
ロンブ カトーの場合は、解放下でロシア語が使えたため以降その力を発揮するようになった。一方フランクルはドイツ語で語学学習のコツをつかんだ。ドイツ語、ロシア語、スウェーデン語と学び、その次のフランス語で海外行きの切符をつかんだ。フランス留学だ。
第1章の後ろの方で52ページの「語学習特のコツをまとめると」では、短期間はいま勉強している言語に集中するということ、と言っている。他にもいくつかコツが書かれている。複数の言語というと同時並行でという人がいるが筆者はそれは奨めていない。
後ろの方で、ヨーロッパの言語に関してはスラブ系、ラテン系、ゲルマン系のそれぞれの言語を一つ習得しておくと後で比較的やさしく入っていけると書いてある。ある程度できるようになれば同じグループの言語の習得は比較的楽だというものだ。これもよくある話なので特に取り上げる必要も無いかもしれない。ただ、同時並行で行うとどちらかというと益よりも害が多いかもしれない。
あとがきの194ページで、いろいろな趣味のなかでも外国語は二流でもいいのです、と書いている。これは、ロンブ・カトーがいう「わたしたちが外国語を学習するのは、外国語こそが、たとえ下手に身につけても決して無駄に終わらぬ唯一のものだからです。」と通ずるところがある。
⇒ ピーター流外国語習得術